2018/12/09

Japan→Hamburg→Japan

"Where I am When I am not here"
my art work 
at Galerie Speckstraße (Hamburg,Germany)

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無事展覧会を終えて帰国しました。
しばしご無沙汰にしておりましたが元気です。

帰国後さっそく体調を崩し風邪をひいてたのがようやく落ち着いてきました。長かった〜
もろもろ連絡が出来ていなかったり滞ってしまっていたことに手をつけねば…と言う間に年末。
今年は本当に色々あったなぁ…という振り返り日記も書きたいけれどまた…
ハンブルクのことをまず書き残したいけれど今年中に出来るかな。

取りいそぎちょこっと宣伝。
もう始まっていますが…三条富小路書店9に参加させてもらえることになったので
簡単なハンブルクノート?メモ?新聞?作ってみました。
ドイツ菓子と一緒に販売する予定です。(納品は火曜日の予定です)
お菓子はスーパーで出会った素朴な「レープクーヘン」というお菓子。
バターを使わずブラウンシュガー、アーモンドプードル、スパイスを効かせた味わい深いお菓子。
見た目はクッキーのようですが食感はケーキのよう?一口食べてはっとしたお菓子です。
ドイツのお菓子はスパイスが効いていて甘すぎず、食感がじんわりとやわらかかったりねっちりとしていたり。
とても美味しいです。
まだまだドイツ菓子初心者ですが…よろしければぜひに。
こんな感じのノート?日記付きです。

2018/10/01

「Where I am When I am not here」

boats

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「Where I am When I am not here」

 CARSTEN RABE, 西絢香, Jessica leinen


アーティスト : Carsten Rabe, 西絢香, Jessica Leinen
キュレーション: 月夜と少年, Jessica Leinen
会期:2018年11月13日 – 2018年11月17日
会場:Galerie Speckstraße
Speckstraße 85, 20355 Hamburg, Germany

ドイツのGalerie Speckstraßeと日本の月夜と少年は共同で「Where I am When I am not here」というプロジェクトを企画しています。このプロジェクトは、2018年11月にドイツのGalerie Speckstraßeで開かれるCarsten Rabe と 西絢香による二人展から、その長い道程が始まります。
あらゆる人や物がネット回線で繋がり、加速度的に広がるボーダレスな世界で、ふと立ち止まると、足場は揺らいでいるように感じることがあります。その中で、芸術の可能性とは何なのかと、私たちは改めて問い直すのです。これは、日本とドイツ、遠く離れた小さなコミュニティでの、芸術を通した対話の記録です。「此処ではない、何処かに」想像力を向ける時、例えば海の向こう遠い国に住む友人を想い、例えば自分たちの子供、孫の世代、遥か遠い未来を想う時、私たちは胸に微かな希望の光を灯します。
今回、Carsten Rabeの、時間が止まってしまったかのような、空虚な空間や場面を切り取った写真と、西絢香による静かな時の流れを滑る無数の小さな舟とが、どんな「此処ではない、何処かに」あなたを連れて行ってくれるのか。是非会場で二人の作品から想いを巡らせてみてください。

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詳細は月夜と少年様のwebサイトでご覧ください。

ドイツのハンブルグにあるGalerie Speckstraßeというスペースで展覧会をさせて頂ける事になり、準備をしています。

展覧会は去年の12月の4人展「雪月の形」以来なのですっかり頭の動かし方がわからなくなっていてびっくり…
個展ではないですが、同様に自分で物語やテーマを構築していくのが久しぶりで
間際になってやっぱり苦しんでいます。
ばくっと考えていた時はうまくいきそうだった事がいざやってみると全く主題から逸れていたり(それにしばらく気づけない)
ドイツという場所でアーティストとしてみられる事に心がひっぱられ
出来もしないのに格好をつけようとしていたり、イギリスの展示を意識しすぎたり…
今回は構想段階から月夜と少年の吉田さんたちにお世話になりっぱなし。

いざやり始めて思い出したのは、展示することは思っている以上に心も身体つかうことだったということ。
そして時間が必要なのだということ。
特に自分は何でもかんでも考える癖があり、その時間も必要だし
それを脱することに気づく(とりあえず手を動かす)時間も必要だったことを思い出した。

結局やっていることは垢抜けないけど、それが自分の今出来る表現なのかもしれないな。
自分が好きだと感じる表現をちゃんと信じる心を持っていたい…

それでも、この間すごくはっとする事を言ってもらえて、自分で自分自身にかけていた呪いみたいなものを一掃してもらえたような感じがした。
私はずっと自分に自信がなく、それを言い訳のようにもしていたのだけど
その人に「それは僕が決める事です」と言ってもらえて、ああ、そうだったのか。と力が抜けた。
自分のことをどう思ってもらえてるのかなんて私にはどうしようもないことなのだ。

そのあとに齋藤キャメルさんの「汐風のたより」を読み返していて
「僕というのは心ではなく身体のこと」というところ、
どういうことなのか、正直まだよく分からないけれど、何だかそれに救われるような心地がした。何でだろう。

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わんこさんが旅立ってから2ヶ月になろうとしている。
心が進もうとしているんだなと気づく。未来やこれからについて考える事も増えた。
さて。まだまだ。

2018/09/01

虹の橋


山梨の花火の日に わんこが虹の橋へ旅立っていった。
16歳と5日めの早朝。大きく何度も何度もうなずいてゆっくりと眠ろうとする姿を家族3人で見届けた。
寒いくらいにクーラーをかけていたのでドライアイスをもらいに外へ出たときに夏だったんだ、と思った。
何も出来ない、何もしたくない日々が続いていたけれど、少しずつ「いつも」に戻ってきた。
「がんばって前に進まなくてもいいよ」と言ってもらったので本当に何もがんばらず
ただ、写真を見たり、ビデオを観たり、3人で毎日思い出話をしたり。
励まされると泣いてしまうのであまり誰にも詳しく話さないでいたけど
ふいに優しい言葉をかけてもらって何度も救われる思いがした。
ペットロスと言ってしまえば簡単だけど、そういうものでもなく
家族の一人を失った喪失感は人のそれと変わらないし、そう簡単に埋まりそうもないなぁと思う。
当たり前にそこにいて、その当たり前は
さっきまで、昨日まで、おとといまで、一週間前まであったのに今はもうどこにもいない。
そう思う度にまっくらな穴に落ちていくような感じがする。

別れがいつかくると分かっていても、その時のその気持ちは、その時までどうしたって分からなくて
すべてが想像を超えていて、哀しさも喜びも苦しさも、全部初めて味わうものだった。

でも、哀しいばっかりじゃなくて、その苦しいさなかにも、笑えることや嬉しいことはたくさんあって
たくさんあったし、たくさん生み出そうとみんなでがんばっていた。
愛しいわんこさん。ありがとうね。
もっとずっと一緒にいたかったけどさいごの一週間はずっと一緒にいられて本当に楽しかった。

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七日ごとの法要に、家族で冷やし中華を食べることにしている。
亡くなった日の昼間、母が冷やし中華を作ってくれた。
赤ちゃん用のシャンプーで湯灌して、すっかり綺麗になって、すやすや眠るようなわんこさんをみながら3人で食べた。
鼻が詰まっているときに麺をすするのは大変で、みんなで何度もむせながら食べた。
途中で父が見た事ないほど大泣きをしたので、みんなでまたぼろぼろ泣きながら食べた。
愛しい、哀しい、美味しい、哀しい。

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すこしずつ。

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谷口菜津子さんの漫画にはまっている。
その中で、おじいさんについての漫画があって、それがすごくその通りだ・・と思う内容でじんと響いて痛かった。
谷口さんの漫画は素っ裸をさらけだしていて、そこが本当に好きだなと思う。

2018/07/25

えみおわすと山梨と夏の幸

おばあちゃんの友達がつくっているぶどう

ぶどうはやっぱりデラが一番好き
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ふい、と東へ。
山梨、anuttaraのえみおわすさんの展示会のお手伝いに行ってきました。
えみおわすに初めて出会ったのが山梨の昌福寺さんでの展示会だったので
それから…5年?かな。夏の山梨の展示。
最寄り駅から延々歩いた道を思い出す。もう二度としたくないけど夏休み感満載の良い思い出。

昌福寺で過ごした時間
anuttaraの3日間
ビアガーデン、ポークビッツみたいなパスタ、ともこさんのサモサ、くまもんトランプ、ひょっこりはん、鬼太郎6期…
どれもこれも全身で楽しんだ。楽しかった!
一足先に夏休みをすごしたみたいでなんだかまだ休み気分が抜けない…


えみおわすの服は着てこそ「ああ、なんて好い服なんだろう」というのが分かる服。
今回は合間に色々試着させてもらったのだけど
ますます好きになってしまった。
シルエット、ちょっとしたディテールの美しさ。端処理の丁寧さ。
動くことを意識された細やかな工夫。
どれも着ている本人こそが実感出来る服だな、と改めて思った。
シルエットのちょっとした美しさは言葉では説明しがたい。
えみおわすの服に出会えたことで服に対する意識も変化した。
見た目も美しく、着るほどに馴染み、毎日好きになる服

試着しているお客さんたちがみんなとても似合っていて
そんな自分の姿にびっくりしたり喜んでいたり、嬉しそうにしているのを見ているのがとても贅沢な時間だった。






ともちゃんが作ってくれたまかない!&おビール

フリフリが愛らしいサモサ

喜びの食卓



2018/06/22

朝と夜と音楽

雨の後のあじさいを
つい、触ってしまう

メタセコイア
葉っぱと葉っぱのつながり
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6/18(月) 朝 震度5強の地震。
寝坊をしていつもの電車に乗れなかったので電車に閉じ込められずに済んだ。
ただニュースを目で追い、LINEで連絡を取り合う。
普段、あまり連絡を取っていない友達も連絡をしてくれた。
SNSやLINEのありがたみを実感した。
そばにはいないけれど、大切な人達はちゃんとそこにいるのだ、と思えた。

夜
LINEのやりとりが終わった直後に大きめの余震がきて自分の心音にまた驚く。
怖いので、扉をあけっぱなしにしたり、その後も余震が続いたので小さな電気を点けたままにしたりした。
大きな余震のとき、みおさんが「家族でうちに避難してきていいよ」と言ってくれて泣きそうになる。
大切な人たち。みんな、なんて暖かく優しい。

6/19(火) 朝
電車に乗るべくホームに入った途端、余震。
すぐそばの柱にしがみつく。
目の前の人は手に持っていた小さな手荷物を頭にやって身を縮こまらせていた。
心が総毛立っている、というのか。ちょっとした揺れや音、刺激にビクビクする。
仕事中も何度か余震があるたびビックリしてしまう。
自分の恐がりを思い知らされた一日。

夜
土曜日に月夜で手渡してもらった齋藤さん(キャメルさん)の新しい音楽をやっと聴く。
心がそっと、大きく くるまれるように安心する。
音楽の入った箱を枕元において、小さな音でその音楽を鳴らしながら眠った。
何度かまた余震があって目が覚めたけれど怖さはだいぶなくなっていて、またすぐに眠った。

今

外ではカエルの声。
いつもと同じ夜の中にいる。